BS2で「アマデウス」を放映していました。顧問のお気に入り洋画ベスト10に入る映画です。映画館でこの映画を観たのは教員になりたての頃でした。「アマデウス」の影響でクラシックを聴くようになったなんて、恥ずかしくてとても人には言えません。
きっかけは冒頭の頓狂院のシーンでした。サリエリが神父に向かって、モーツァルトの「セレナード変ロ長調」の素晴らしさを説明する場面です。「出だしは全く平凡だった。バセットホルンがまるで錆びた手風琴のようだった」「だがそこに、突如オーボエが被さってくる」「そしてそれをクラリネットが引き継いで…」「ああ、何という甘い響き」とまあ、こんな具合なのですが、それまで学校の授業で教わってた音楽鑑賞って「この曲のテーマは何か」ばっかりだったから、ちょっとしたショックでした。このシーンは、「楽器の奏でる旋律を楽しめばいい」という至極当たり前の事に顧問の蒙を啓いてくれたのです。
この映画ではモーツァルトの天才ぶりが色々と工夫して描かれています。中でも、作曲中に頭の中で鳴り響いている音楽が、名前を呼ばれて「ハッ」と我に返った途端にカットアウトするのは、実に上手い演出です。
そして圧巻は、何と云ってもサリエリと二人きりで「レクイエム」の作曲をするシーン。正確には作曲しているのはモーツァルトで、サリエリはそれを口述筆記しているだけなんですが、殺意を覚えるほどに嫉妬していたモーツァルトの創作の現場に居合わせることができたサリエリは、疑似体験とはいえ、モーツァルトのように神の声を聞き、モーツァルトのように作曲できて、とても幸せだったに違いありません。おそらく彼の人生で最も至福に満ちた時間だったことでしょう。このくだりはフィクションとはいえ、マーリー・エイブラハムとトム・ハルスの鬼気迫るような名演技を楽しめると同時に、「レクイエム」の「コンフュターティス」を各パートに分解することで、聴き所と作曲上の狙いを観客に教えてくれる名シーンです。
自分が凡人であることの哀しみ。凡人にすぎないことに気づいてしまった悔しさ。どんなに望んでも決して手に入らないものに対する残酷なまでの渇望。サリエリの抱いた胸をかきむしられるような苦悩は、等しく私たち自身の問題でもあります。エンドロールに静かに流れる「ピアノ協奏曲20番」を聴きながら、観客はサリエリの苦悩が自分たちにも突きつけられていることに気付きます。最後に聞こえるモーツァルトの高笑いは、まるで神様が凡庸なる私たちをからかっているかのように響きます。重たい余韻が残る映画です。

